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tchakoの日本酒中心の独身時代

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2001年7月にブラジルから日本に帰国した私は、早々に専門学校の入学て続きと勤めの派遣先を決め、24歳にして専門学校生となりました。

専門学校生と言っても夜間の学校でしたし、当時は千葉の実家かから通っていましたので、朝5時起床でお弁当を昼と夜の2食分作り、9時~17時は派遣社員として働き、そのあと18時過ぎ~22時過ぎ位までを専門学校で勉強するという生活を1年半過ごしました。

今から思えば本当によくやったと他人事のように思いますが、ブラジルから帰国した当時の私は言葉が100%通じる世界で出来ることをやらないのはバカだ!!と思えるくらい何かを吸収したいという欲求に駆られていて、その欲求がすべてお酒と料理を学ぶことに費すことが出来たと思っています。この時期に実は、私のお酒の師匠となる酒のはしもと正木社長とも知り合って(当時、正木社長は船橋東武の酒売り場担当のバイヤーさんでした。)色々とお酒について教えていただいていたと言う、ちょっとした運命の出会いの下地が出来上がったりもしておりました。

専門学校時代以降は、本当に飲みにも食べにも良く行きました。花より団子とは良く言ったもので、ここから先の20代すべては食べて飲むことに費やされたと言っても過言ではありません。化粧っ気もあまりなく、洋服にも気を使わず、最低限の生活をしながら最大限に食べて飲む・・・そんな生活をしておりました。

 が、専門学校卒業後、私は日本酒難民と化すことになりました。

専門学校時代に私は、調理師の勉強と平行してきき酒師の資格を取得して、日本酒の造りや保存の仕方や、造りによって変わるお酒の特徴などについては学びましたが、自分のお酒の好みについては全くの無頓着で、同じ日本酒でも自分の好みの物とそうでないものがあるということに気が付いていませんでした。

私は、父が昔からお燗酒しか飲まない人だったということもあり、日本酒への入り口こそ冷酒だったものの、その後はどちらかというとお燗酒を好んでいましたが、それはあくまでも無意識的な好みで、自分自身がお燗酒が好きであるという自覚は全くなかったわけです。

そんな状態で、専門学校卒業後新潟のリゾートホテルに就職した私は、お燗酒難民となりました。

新潟は言わずと知れた吟醸王国とも言われた沢山の冷酒がある地域。当然、他県のお酒は手に入りにくく、本当に苦労しました。

新潟のお酒が美味しくないのではありません。新潟のお酒はお燗酒に向くものが少ない(当時)のです。そんなことを現地に行ってから気が付いた私は初めてお酒の温度には向き不向きがあることに気が付きました。

これが私のお燗酒に目覚める第一歩でした。たった、一年でしたが新潟でのホテルの仕事を辞めた私は、再就職先を東京の中野坂上にある某不動産会社に決めて関東へ戻ることになりました。

ブラジル留学で意識した和食と日本酒感 ⇐ 戻る 続く ⇒日本酒がご縁で得た(?)丸屋女将の座

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